典座ネット〜お供え膳をつくろう

大切な故人に手作りの精進膳を供えてみませんか

お月見のお供えものとお膳

   

○収穫物に感謝してお供えするのがお月見の主旨

皆さんは最近「お月見」をしてますか?
都会の空ではなかなか月を見ることが難しい場合もあるため、しばらく月見なんかしてないなあ、という人も多いかも知れません。実際、春の「お花見」は盛大に行われる場合が多いですが、秋のお月見はそれほど盛り上がらない比較的地味な行事かもしれませんね。

しかしわが国では一説には縄文時代からすでに行われていたともいわれ、少なくとも平安時代には祭事として貴族たちのあいだで優雅にお月見が行われていたそうです。

特に、禅では悟りの境涯を自然の風物になぞらえて表現することが多いのですが、なかでも「月」は多くの禅僧に親しまれてきました。

お月見のお供え

そうした中、うちの寺ではもう私が子供の頃からずっと、秋には月見の儀式が行われています。
十五夜の晩には月が窓から見える板の間に祭壇を設け、ススキの穂を花ビンに挿し、月見団子を三宝にお供えし、また収穫された野菜などをザルに並べて祭壇に供え、豊作と健康を祈りながら月を愛でるのです。

つまり、「お月見」ときくと、単にお月様を観るだけ、とか春のお花見のように花を見て何かを食べる、というイメージが浮かぶ方も多いかも知れませんし、実際各地の「観月会」は名月の元でお茶や食事を楽しみ、演奏や展示などを楽しむ、という趣向が多いようです。もちろんそれでも良いのですが、忘れてはならないのは、本来の「収穫期を迎え、自然の恵みである農産物をお月様にお供えして豊作を感謝する」ことが第一で、そのおまけとして「自分たちもそれをありがたくいただく」という主旨なのです。昔は特に、農産物を無事収穫できるかどうかはその年の天候や災害など、自然の力に大きく依存していましたから、ごく当然に営まれる、自然のめぐみに対する素朴な感謝の行為だったのでしょう。現在では農業技術の進歩により、かつてとは比べられないほど安定した収穫ができる時代になりました。しかしこんな時代だからこそ、昔の人のこころに学び、自然に対して、また収穫された農産物に対して感謝のこころを忘れないよう、秋のお月様にお供えをするお月見の伝統に回帰すべきではないでしょうか。その上で、収穫を祝って演奏や舞などの芸術を楽しみ、おいしい酒肴を味わって収穫までの労働の疲れを癒す、これこそが日本人のお月見の精神だと思います。

 

○お月見のお供えものについて

お月見のお供え団子とすすき

十五夜には里芋や薩摩芋など、芋をお供えする習慣があるため、別名「芋名月」とも呼ばれます。
当地ではまだこの時期里芋は早いので、カボチャや大根、ジャガイモ、胡瓜、ミョウガ、枝豆など畑で取れた収穫物を供えます。地域によって、お供えする物品はさまざまですが、多いのは収穫されたお米をまるめた「月見団子」でしょう。これにススキの葉を添えてお供えする地域が多いようです。また時期的にぼたもち(おはぎ)も多く見かけます。今ではお膳をお供えする地域は減ったようですが、古くはお月さまににお膳とお酒もをお供えして、自分たちもご相伴にあずかるのが作法だったようです。名月を眺めながら一献傾けるのも日本人ならではの風流な慣習ですね。「芋名月」にちなみ、里芋、薩摩芋、甘いカボチャなどを使い、また満月にちなんで丸い形の料理を揃えてはいかがでしょうか。あまりこってりした洋風料理よりも、日本の風土にあった和風の精進料理をお供えして日本酒を静かに頂く方がお月見には合っているように感じます。

お花見のようにワイワイガヤガヤと騒ぐのではなく、月を眺めながら心静かに、コオロギや鈴虫などの虫の音を聞きながら、秋の風情を楽しみ、そして毎日の平和や自然の恵みに感謝するお月見は、ちょっとしたオトナの行事といえるかもしれません。

○道元禅師と月

永平寺の開祖、道元禅師には月に関するエピソードが多く遺されています。

道元禅師
↑道元禅師観月の像

道元禅師の有名な和歌「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり」、または宝慶寺に伝わる有名な「道元禅師観月の像」は、道元禅師が月を眺めていたお姿といわれています。映画「禅 ZEN」でも、北条時頼と道元禅師が池に映った月を題材に問答を交わすシーンが描かれています。

中でも特に「月」にちなんだ話題として今回ご紹介したいのは、永平寺を開いた道元禅師が中秋の名月を詠んだ和歌です。

厳しい修行と、正伝の仏法の布教にひたすら生涯を貫いてきた道元禅師ですが、1253年、重い病に罹られてしまいます。禅師は最後の時まで永平寺に 留まりたいと願っておられましたが、医師の元での療養を願う弟子たちの説得に応じ、永平寺の住職を一番弟子である懐奘禅師に譲って京都へ旅立ちます。

そして道元禅師は京都にて、十五夜の晩に中秋の名月を眺めながら和歌を詠まれました。

また見んと おもひしときの 秋たにも こよひの月に ねられやはする

(重い病にかかり、もう今年の秋の月は見ることができないかも知れない、となかば覚悟をしていたが、こうして再び美しい月を眺めることができた。今宵はこのよろこびに寝られそうにもない)

道元禅師はこの句を遺したわずか十数日の後、この世を去られます。
この句にはさまざまな解釈があります。
前半部分を「またみたいと思っていた秋の月をこうして今年も見ることができた」と解釈するのはほぼ共通していますが、問題は後半です。
「今宵の月を見ているとなかなか寝付くことができない」「眠るのが惜しい」と訳すのはいいとして、どうして寝ることができないかの理由が解釈のポイントです。

「病に冒された身に、死への不安や苦悩を表現している」「来年はもう見ることができない月を名残惜しそうに眺めている」という解釈をよくみかけますが、自らの死を恨み、惜しむような心情はあまりにも俗的な解釈であり、道元禅師の心にはほど遠いのではないか、と思います。
百歩譲って、自らの短命を嘆くとしたら、ただ単に自分自身の寿命の短さを悔やむのではなく、もっと広い立場に立った、これ以上この世で仏法を説くことができなかったことに対する残念な気持ちはあったかもしれません。
道元禅師ほどのお方が、自分の寿命の短い長いに執着すはずもなく、そうした解釈ではこの句の素晴らしさは半減してしまうと思います。

一つの興味深い解釈を紹介します。

「道元禅師はすでにご自身の容態を充分に理解なさっていたし、また禅者としてそれを無理に悲しみ、嘆き、抗うようなことはせず、それを素直に受け入れておられた。すでにこの秋は無理であろう、と覚悟を決めておられたに違いない。
しかし多くの弟子や縁ある方々の手篤い看病や手助けにより、こうして今日の十五夜を迎えることができた。そうした周囲の者への感謝の気持ちがこの句には表れているとみてはどうか。
皆の優しさとまごころに感動して、今宵は心が震えて寝られそうもないよ、という道元禅師の感謝の念を読み取ることができまいか」

毎年、十五夜に続いて道元禅師のご命日(9/29)がやってきます。ここ数年私は、九月二十九日には月にちなんだ精進料理を調え、寺の本堂にお供えして礼拝焼香をし、門下の末席として道元禅師の御遺徳を偲んでおります。
ご紹介した月見の精進料膳、こうした道元禅師の和歌を味わったあとで調理するとより意義深いことでしょう。

お月見のお供え精進料理膳

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